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by 梅子

ルノワール-伝統と革新

f0149664_13332149.jpgルノワール-伝統と革新  国立国際美術館(大阪・中之島)

2010年5月2日、とても天気が良く阪急梅田駅から歩くには汗ばむ中、10時半ごろ美術館に到着。開館から30分ほどだったためか、入館まで10分待ち。エレベーターで降りて地下3階がメインの展示場だから、エレベーター待ちの様な感じで列は徐々に進むのでそれほど長くは感じませんでした。この日美術館に来るまでに3組の人に「美術館はどこですか?」と聞かれました。うち2組は美術館前で聞かれて、そういえばこの美術館表示が小さいよなと感じました。個人的には並立する大阪市立博物館と美術館入り口のオブジェで、すぐわかると思っていましたが、オブジェだけではそこが美術館だとは分かりにくいですよね。

さて、ルノワールです。印象派自体、日本人に非常に人気があるうえに、ルノワールはゴッホ、モネと並んで知らない人は少ない画家ですよね。会場は、予想通り混雑していました。しかし先月、長谷川等伯展の人ごみをかき分けるように作品を観ることを思えば、今回は楽勝だったなぁ。

ここで、マイ・ブームのwikiで軽くルノワールについて調べてみました。私にとって、意外と知らないルノワールです。先日「日曜美術館」で取り上げられていたので観たのですが、1度観ただけでは覚えられません。はい。

ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir、1841年2月25日 - 1919年12月3日)はフランスの印象派の画家である(後期から作風に変化が現れ始めたので稀にポスト印象派の画家とされることも)。
仕立屋の父と、母は御針子。13歳で磁器工場の絵付けの仕事を始めますが、産業革命のあおりで機械化され職を失い、その後、画家を目指すようになります。
サロンに出品しだした初期のころは、当選と落選を繰り返し、作風も様々な画家の影響が現れていました。生活には困窮していたようです。1870年からの普仏戦争にも徴兵されましたが病気ですぐに除隊されます。
除隊後、印象派と呼ばれる画家たちと印象派展を開催。1880年代以降は、印象派の光を追った技法に疑問を持ち始め、古典的な明快な形態、硬い輪郭、冷たい色調が目立つように。1890年代に入ると、暖かい色調が戻り、豊満な(豊満すぎる!?)ヌードを多く描きます。1898年頃からリューマチ性疾患に悩まされ、晩年は車椅子生活だったようです。彼の作品は、4000点は下らないだろうと言われています。

さてこの展覧会ですが、時系列に並んでないんですよね。「日曜美術館」で年代を追って予習した私には、混乱させられる展示でした。(わがままですね・・・。)そこで、気に入った作品を時系列に並べ替えてみました。

「縫い物をする女」1879年
青のかなりぼやけた背景に、縫い物をしている女性もまた青っぽい洋服で背景と同調しています。女性の重量感や、肌の柔らかさや幸福感が、冷たい印象になりがちな青で表現されているのが不思議でした。

「団扇を持つ若い女」1879-80年頃
とりわけ好みではないのですが、団扇に親近感を覚えたので。背景の花や、帽子のコサージュ、そして団扇の絵の繊細さが中心の少女よりひき立っていました。

「プージヴァルのダンス」1883年
「田舎のダンス」、「都会のダンス」と並ぶ、ダンス3部作の一つ。画商デュラン=リュエルの家の装飾用に制作されました。おお、確かに、輪郭が明瞭になってきています。しかし、こんなに大きな絵を3枚も飾れる家って、どれほど豪邸なのでしょう!

「レースの帽子の少女」1897年
そして、再び柔らかく明るい色調に戻るわけですかね。これまでの紆余曲折を経て、確立された安定感が感じられます。輪郭線がないレースの帽子も柔らかくふわふわした質感ですが、80年代以前の形を失ったような危うさは無いですよね。(あくまで素人の意見です・・・。)

今回の展覧会で個人的に好きな作品は、「縫い物をする女」とこの「レースの帽子の少女」でした。

実はルノワールって、私にとって苦手な画家だったんですよね。好みじゃないというか・・・。それもこれも、残した作品数の多さと、様々な試行錯誤により作風が2転3転することに混乱していたようです。う~ん、今回調べたことにより、誤解が解けましたよ!新たな発見があった展覧会でした。
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by umekononikki | 2010-05-09 13:34 | 展覧会