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展覧会と本と韓国ドラマと時々K-POPかな・・・。

by 梅子

モスクワの孤独

モスクワの孤独_f0149664_9494764.jpgモスクワの孤独
-「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア-

米田網路著

最後の作品をめぐるエレンブルグの検閲との闘争、ラーゲリに送られ亡くなった詩人マンデリシュタームの寡婦ナジェージダの詩と記憶を守る闘い、「プラハの春」に侵攻したソ連軍への反対の意思表示をしたラリーサ・ボゴラスら、サハロフの遺志をついで人権擁護活動を続ける生物学者セルゲイ・コヴァリョフ、プーチン政権の闇を追及し、暗殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ。屹立した精神の自由を求めた偉大な少数派達の壮大な人間ドラマ。

読み応えのある本でした。意思を貫く勇気と難しさ。言論の自由について。多くを考えさせられ、時代のマイノリティだった彼らの生きざまに胸を打たれます。あとがきにあるように、日本社会で生きる私たちへの警鐘にも聞こえてきます。先日読んだ岡本太郎の言葉ではないですが、「個人を殺していないか」という言葉の中に、一人の人間としての幸せだけでなく、世界の幸せも含まれていたのかもと思いを馳せます。「個人」の消滅は、権力のある人間たちには非常に都合のよい状況ですものね。「みんながそちらに向かうなら、私も・・・。」なんて考えは、とても罪深い事なのだろうと感じます。その方向が間違っていた場合、誰が責任を取るの?と聞かれ、結局、誰も責任を取らないうやむや状態が、日本をダメにしたなんてことを司馬遼太郎が言っていたような・・・。(違っていたらすみません。)ルールを守ることは当然ですが、個人の考えよりも皆がそうしているから大丈夫なんて、個人が考えることを止めてしまったのでしょうか。一部の人たちの特権であるうちはありがたいと感じても、皆が持つようになったらありがたみが失せるとは、塩野七生のローマ人の物語での言葉を思い出します。ああ、形が違うにせよ知識人たちは見抜いているのだと、感心するばかりです。(話が違う方向に行きましたね。)
「自由」と「責任」は表裏一体ですが、当たり前にあるためか「自由」の意味を取り違えてしまったのでしょうか。日本のメディアには、誰が決めたのか知りませんが「これさえ守れば大丈夫」的な一線が引いてあります。報道関係の人間も、所詮はサラリーマンといったところなのでしょうか。東日本大震災に関する報道(もちろん原発問題も含みます。)にしても、こんな報道でいいのかと憤りを感じている人は多いのではないでしょうか。
とりとめの無い感想になりましたね。かなり厚みのある本ですが、多くの人に読んでもらいたいと思う本でした。
by umekononikki | 2011-05-23 09:50 |